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ベルリンのコントラバス奏者高橋徹のBlog


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ヴァイオリニスト諏訪根自子さん

ヴァイオリニスト諏訪根自子さん_c0180686_23091265.jpg
1920年生まれ、諏訪根自子さんというヴァイオリニストがいました。1943年2月、宣伝相ゲッベルスに1722年製のストラドを贈られる。
1943年10月、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を巨匠クナップパーツブッシュ指揮のベルリンフィルとペルリン(昔のフィルハーモニー!)で共演した天才美少女でした。
まずはこの素晴らしい「タイスの瞑想」をご存知なければ聴いてください。



写真も多く載せられてますね。

オークション(ヤフオク)に前代未聞、8億8千万円の1692年製ストラディヴァリが出品!のニュースから、諏訪根自子さんの名が浮かびました。
YouTubeで気軽に録音を聴くことができる前には、そのお名前はゲッペルス宣伝大臣から同盟国である日本の天才少女にストラディヴァリウス製作のヴァイオリンが贈られた、という情報だけ知っていたからです。
上のタイス、1935年ですから15歳!天才と称されるのは当然です。写真で美女と付けられていたのも納得できますね。
ナチの名が出てくると裕福なユダヤ人からの財産没収がすぐに浮かびますね。宝飾品、美術品、ヴァイオリンetc.
この1943年2月に贈られたヴァイオリンがストラディヴァリウスなのかは、もちろんわかりません。また根自子さんはゲッペルスが購入させた楽器と話してますが、本物かどうかとともに、それは不明です。
でもこの録音を聴いたら、それはまだ日本を出る前だったわけですが、こんな演奏をするソリストが存在したことに驚きます。
16歳でベルギーに留学、1938年からパリ、18歳です。翌年にヨーロッパでも大戦が始まるわけですがパリに止まります。ドイツ占領下でも戦闘はなかったし枢軸国日本からでしたから、大変な思いはせずにたくさん吸収できたと想像します。1942年にベルリンへ。パリとベルリンを往復する生活からノルマンディー上陸+パリ陥落とともにベルリンに移り終戦の1945年まで居住、アメリカ経由で帰国なさったそうです。終戦時でも25歳、その若さで大変な経験をなさったんですね。二人の外交官補(在ベルリン日本大使館員と思います)と一緒でよかった。
その後1960年から20年間活動を休止なさったそうですが1980年代には新録音も発表なさり、またコンサートも行ってらっしゃったそうです。
ヴァイオリニスト諏訪根自子さん_c0180686_23090278.jpg
1942年にベルリンへ、田中路子さんを頼って。田中路子さん=マダム・デ・コーヴァ、1980年に僕がベルリンに来た頃は亡くなった後でしたが話にはよく上ってました。ベルリンでは拙宅と同じ道、同じ湖畔にお住まいだったそうです。
諏訪根自子さんも拙宅前の湖を歩いたかなー?湖畔公園を眺めながら練習してたかもしれません。

しかし、知らないってことは、残念なことがあります。
1980年代なら僕も20代、サロンコンサートはかなり特別な輪だったかもしれませんが90年代にコンサートを聴いた人が少なからずおいでなのです。また、今から7年前まで日本に暮らしておいででした。
そのヴァイオリン、在り処はわかってるそうです。
ストラディヴァリウスかどうか?には興味ありません。
でも15歳でこの演奏をした天才美少女の音を生で聴きたかったな!

こちらは2012年に92歳で他界された後の追悼ラジオ番組です。
活動休止後の録音は他に見つかりませんでしたが1979年の録音、バッハが聴けます。
またベートーヴェンのソナタ「春」も。
ありがたい!

この番組を聴きながら書いてましたが、休止後の録音、60歳前後の演奏のはずですが、やはり素晴らしい!です。
僕が知らなかっただけなんだろうか?
全ての音が柔らかく(時に必要な鋭さはもちろん保って)響いています。



練習の合間に発見。
1944年6月,連合軍がノルマンディに上陸し,ドイツの防衛ラインは完全に崩れた。 敗走するドイツ軍と軌を一にするように,同年8月,パリ解放の13日前に,諏訪はパリからベルリンへの逃避行を敢行することになる。 列車での移動中に何度も空襲を受けたが,1943年にドイツ宣伝相のゲッペルスから贈呈されていた1722年製作のストラディヴァリウスだけは片時も我が身から離さず,命からがらベルリンに入ったという。 すでにその頃のベルリンは連合軍の連日の空襲下にあり,ただでさえ危険な状況であった。 しかしそのような中でも,スイスの日本大使館員のはからいでスイス各地でのリサイタルが企画されると,ベルリンからスイスまで危険を省みずに移動し,リサイタルを敢行。 スイスの各新聞紙上でその演奏を絶賛された。 まさに,「騒然たる時世に刃向うように根自子の音楽への意志は昂揚する」(同書より)のであった。 1945年ベルリン陥落後は,大島駐独大使らと共に連合軍に囚われ,アメリカ本土の収容所に収容された。 そして終戦後の1946年,日本に帰国。 想像を絶する苦難の内に,諏訪の10年にわたるヨーロッパ留学は幕を閉じたのである。

またあらたなヴァイオリンの記述を見つけました。
無量塔蔵六氏の言で、世界に一本しか存在しないと言われてるアントニオの息子オモボノの作品がこのヴァイオリンだと。アントニオは長命だったので存命中は二人の息子の作品(もう一人はジャコモフランチェスコ)はアントニオの作として世に出ました。

これは工房製としてよくあることです。で、その認められた唯一が諏訪根自子さんが弾いてた楽器であると、楽器屋の間では割と当たり前の話だと聞かされたそうです。そして楽器はゲッペルスじゃなく近衛秀麿さんから贈られたとも。

物理学者の筆者が調べると田中路子さんの言から(そして実際に写真もある)贈呈式に出席してゲッペルスから贈られたのを見てらっしゃる。

となると、その楽器屋さんの間で知られてるオモボロ作説も?であると書いてらっしゃいます。
真偽はわかりませんが、近衛秀麿さんからも贈られていた可能性もありますね。2本持ってらっしゃったか?
1943年に贈呈される前、もし近衛秀麿氏からのもあるとしたら、そのオモボロ・ストラディヴァリウスはどこに?
また、ベルギーに渡る前に録音された美しい演奏は、どの楽器で弾いたんだろう?

ケルンの日本文化会館初代館長夫人で(もう既に演奏活動を休止していた)内田光子さんがショパンコンクール受賞直後でオープニングで演奏なさった、けれど館長夫人が日本人で最初に世界的活躍をした天才ヴァイオリニストとは誰も気づかなかったそうです。ヴァイオリンと一心同体、複雑で、悲しいですね。







最初の校正段階に入った2012年12月10日、諏訪根自子の令妹でヴァイオリニスト、
国立音楽大学名誉教授の諏訪晶子氏に、立ち入った質問で恐縮だが、と前置きして、
その点だけ思い切ってお尋ねしてみた。
すると、晶子氏はオモボノの名をあっさり否定されたあと、飾り気のない口調で、
思いもよらないことを口にされた。
『そのヴァイオリンは、偽物でした。ただ、それがわかったのはつい近年のことで、姉はそれを知らずに、ストラディヴァリウスと信じたまま、亡くなりました。私も試奏してみたことがありますが、私には弾きにくい楽器です。でも姉は、私だから弾きこなせるのよ、と言って、終生、強い愛着を抱いていました。どんな楽器を弾こうとも、ヴァイオリニストには皆、その人の音、というものがあります。あの楽器で奏でられたのは、諏訪根自子の音だったんです』
この話の裏付け調査はおこなった。しかしながら真相は濃い霧の彼方にあり、世には、晴らしてはならない霧というものもあろう。
諏訪根自子が1943年のベルリンで贈呈され、戦火の中、ドレスもハイヒールも投げ捨ててそれだけを胸に抱きしめて死守し、それをもってバッハの録音を達成した彼女の半身は、ゲッベルスがユダヤ人から略奪した『Antonius Stradivarius Cremonesis
faciebat Anno 1722』であろうが、彼がシレジアの楽器商から正規に購入した真正のストラディヴァリウスであろうが、はたまた、真っ赤な贋物であろが、そんなことはどうでもよいことだ。
彼女のヴァイオリンは、永遠に「諏訪根自子のストラディヴァリウス」なのだから・・。
2013年1月23日(諏訪根自子の生誕93年の日に) 
萩谷由喜子
クレモナの名器に熱を上げる日本人をたしなめるような筆者の結語だった。



楽器も大事、奏者も同じくらい大事。
また、お互いに結びついて翔び立たなくてはならない。
日独敗戦でベルリンからアメリカに送致され収容されてから帰国した諏訪根自子さん、
持ってらしたのはゲッペルスに贈答された「諏訪根自子のストラディヴァリウス」でしたが近衛さんからの贈呈話の有無に加えて、日本から持っていったヴァイオリン(1943年2月まで弾いていた)があったはず。それで10代に録音したのかは存じませんが、その楽器のことは調べた限りではどこでも触れられていません。
誰が作った楽器だったんだろう?
「私だから弾けるのよ!」と惚れ込んだ楽器は何本も持てなかったでしょうし、優ったからその一本を持ち帰ったのでしょうが、他の楽器(上のタイスを弾いてる楽器)が、とっても気になります。

最後に朝日新聞の神風号、ロンドン行き飛行を描いた「美貌なれ、昭和」諏訪根自子さんがベルギーの飛行場で二人を歓迎した様子(06.55)から、戦争に向かって動く世でヨーロッパで活躍した美しいヴァイオリニストの話が続きます。ドラマ自体はカットされていて残念。


神風号は朝日新聞社が所有する国産の民間機の名称だ。アジアと欧州間を100時間以内で飛行するという懸賞金付きの競争があり、日本人のふたりが、1937年4月9日、東京-ロンドン間を94時間17分56秒で飛行し、この快挙を成し遂げた。
奇しくも1936年1月から根自子はベルギーに留学中で、記録を達成した飯沼正明飛行士と塚越賢爾航空機関士が、1937年4月16日、ロンドンから飛来してくるのをブリュッセルのハーレン飛行場に出迎えた。短い祝賀の時が過ぎ、彼らの飛行機はベルリンへと向かった。来栖ベルギー大使の娘さん梅(愛称ピヤ)と二人で花束を贈った17歳の少女は、25歳の飯沼正明飛行士の印象を次の手記に残している。
「ピヤちゃんは飯沼さん、私は塚越さんに花を上げる。二人ともとても素敵。殊に飯沼さんがとても綺麗。あんな人は一寸見たことがない。日本人は全部来た。ベルギー人も大勢、皆日本の旗を持って出迎えた。こんな嬉しいことはない。それから飛行場のレストランで一寸シャンパンを飲んで大臣や大使が演説をした。それから大使と両勇士は王様のところへ行く。その間私達はそこに休んで待っている。また十二時ベルリンに向けて出発するまで・・。なにしろ四日間で日本から飛んで来たのだから大したものだ。十一時頃から少し天気が良くなって来たが少し風がある。十一時半頃皆さんが帰って来た。それから天候を調べたり何かして十二時頃出発した。ベルギーとドイツの国境がとてもお天気が悪いので若しかしたら引き返して来るかも知れないそうだ、皆、飛行機が見えなくなるまで旗を振っていた。飯沼飛行士はダンゼン素敵だったので、ジロジロ眺めるだけ眺めた。あゝ今日はホントに嬉しかった。
 (五月二十二日付 朝日新聞より)

無口だったと伝えられる少女の日記、嬉しくて良かった。


【諏訪根自子関連年譜】
1918 
小野アンナ、小野俊太郎とともにロシア革命 の大混乱から逃れて日本に来る。
1919 
6月25日、諏訪次郎(山形県出身)と今田瀧結婚。小野アンナ初リサイタル「バッハ無伴奏奏鳴曲の本邦初演」
1920 
1月23日、東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷225番地(現在の渋谷区広尾3丁目14番地)で諏訪根自子誕生。
1923 
諏訪家、北豊島郡高田町大字高田1649番地(現在の豊島区目白2丁目23番地)に転居する。
1924 
12月3日、父とエフレム・ジンバリストの公演を聴き感動する。翌々日、小野アンナの門を叩く。
1925 
中島田鶴子のてほどきを受けてから、小野アンナに直接師事する。
1927 
11月23日、一条公爵家の園遊会の余興として演奏。来賓たちを驚かせる。モギレフスキー再来日、日本に定住。
1929 
小野アンナ門下の発表会に出演し注目を集める。
1930 
評論家野村光一の紹介でモギレフスキーに師事。9月26日から5日間ジンバリスト帝国劇場で来日公演。小野アンナに伴われ、帝国ホテル投宿中のジンバリストを訪ね演奏を聴いてもらい絶賛される。
1931 
1月24日の朝日新聞に「ヴァイオリンの天才少女現る、ジムバチリストを驚した目白の根自子ちゃん」の見出しで報道される。5月シゲティ、9月ハイフィッツ来日。
1932 
4月9日、日本青年館でデビュー演奏会。来日中のルネ・シュメーが正確さを高く評価。セーラー服姿でヴァイオリンを抱える根自子(12歳)のブロマイド写真発売。
1933 
10月、小野アンナの長男小野俊太郎、腹膜炎で死亡。14歳。大阪朝日新聞で関西デビュー演奏会。山田耕筰指揮、ブルッフの協奏曲。12月8日、両親の不和が原因で「家出事件」報道。日本コロンビア初レコード(3枚6面)。
1934 
4月、モギレフスキーのもとでレッスン再開。2回目の録音(3枚6面)。
1935 
日本コロンビアで3回目の録音(7枚14面)。
1936 
1月23日、16歳の誕生日に日本郵船の鹿島丸で神戸港より渡欧。ベルギー留学。ブリュッセル宮廷音楽家エミール・ショーモンに師事。
1937 
第一回イザイ・コンクールを聴き、優勝したオイストラフの演奏に感銘を受ける。4月16日ブリュッセルのハーレン飛行場で神風号の両勇士を出迎える。
1938 
大倉喜七男爵の後援でパリに移住。ボリス・カメンスキーに師事。
1939 
パリ・デビュー演奏会(ダリュ街8番地サル・ショパン)。8月22日、独ソ不可侵条約締結。9月1日ポーランド侵攻。9月3日、英仏宣戦布告。
1940 
パリの南200Kmのアルシー・シルクレに一時避難。実戦に至らずパリに戻る。5月10日、独軍、オランダ国境を侵犯しアルデンヌの森からフランスに侵攻。
6月14日、独軍、パリ無血入場。政府の帰国勧告で岡本太郎ら多くの邦人が帰国する。
1941 
マルセイユで倉知綠郎(作曲家)、古澤淑子(声楽)らと日仏合同演奏会に出演。パリでジャン・フルネ指揮コンセール・ラムールの演奏会に出演。チャイコフスキーの協奏曲を弾きジャック・ティボー賞賛。パリを訪れた大賀小四郎と初めて出会う。
1942 
12月ベルリン市長の招きでベルリンに赴き越年。大晦日、大島夫妻とオペレッタ「こうもり」を観劇。
1943 
2月22日、ナチス宣伝相ゲッベルスからストラディヴァリウスを贈呈される。10月19、20日クナッパーブッシュ指揮ベルリンフィルでブラームスの協奏曲を共演。大使館員らとベルリン郊外ボイツェンベルグ城に疎開したのち、パリに戻る。
1944 
6月6日ノルマンディー上陸作戦開始。在仏日本人はベルリンへ引き揚げ勧告を受ける。8月12日ベルリンへの逃避行。5日後、ベルリンに到着し大賀と再開。11月、スイスのチューリッヒ、ジュネーヴ、ローザンヌで演奏会開催。
1945 
2月ベルリン大使館関係者とバード・ガスタインに疎開。5月アメリカ第七軍に拘束され、7月24日ザルツブルグへ。翌日ルアーブルの飛行場からバスで2時間の古城に着く。ヨーロッパ拘留邦人、近衞秀麿、大島夫妻も合流。8月3日将校向け演奏会のあと、8月4日、邦人130余名、サンタ・ローザ号で出港、アメリカへ移送。8月11日ニューヨーク到着。ペンシルベニア州カバーランドの鉱泉地ベッドフォードで3ケ月の抑留生活。11月11日、音楽会。11月16日、バスで移動しシアトルへ。11月25日、軍用船ジェネラル・ランデル号で日本へ移送される。12月6日浦賀入港。
1946 
10月3~4日、8~9日、日比谷帝国劇場で帰朝第一回記念講演会。タルティーニ「悪魔のトリル」、ヴィエニャフスキの協奏曲第二番、クライスラーの小品、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、サラサーテ「サパティアード」、ルクーのソナタ、サン・サーンス「協奏曲第三番」、パガニーニ「カプリス20番」、ヘンデル「ソナタ第四番」、バッハ「シャコンヌ」、シマノフスキ「アルトゥーザの泉」、ショーソン「詩曲」。12月まで全国各地で演奏会。
1947 
5月3日、帝国劇場で「新憲法施行記念祝賀会」に出演。12月18日、19日、帝国劇場で東宝交響楽団とサンサーンスの協奏曲第三番を演奏する。
1948 
ベートーベンのヴァイオリン協奏曲を演奏し、7月3日NHKラジオ番組「土曜コンサート」で放送される。芸術映画「幸福の椅子」に出演。
1950 
3月20日、NHKラジオ第一放送「放送音楽会」に出演。田村宏ピアノ伴奏でフランクのヴァイオリン・ソナタを演奏。10月23日、日比谷公会堂で上田仁(まさし)指揮東宝交響楽団でチャイコフスキー、メンデルスゾーン協奏曲を演奏。収益の一部を恩師モギレフスキーの看病、お見舞い金として贈呈。
1951 
3月歌舞伎座、東京交響楽団でブルッフの協奏曲を演奏。6月日比谷公会堂、日本交響楽団で出演。秋、レス・ブラウン指揮日本交響楽団でメンデルスゾーンの協奏曲。
1953 
3月7日、腎臓病でモギレフスキー逝去、68歳。5月26日の演奏会でバッハ「シャコンヌ」を演奏し師を追悼する。ジャック・ティボー来日を待ち自宅に泊める準備。9月1日エールフランス機で日本に向かう途中、飛行機事故(アルプスに激突)でティボー死亡。彼のストラドも消滅。
1954 
弟の諏訪重麿、谷川岳で消息を絶つ。29歳。
1955 
ニッポン放送でバッハ無伴奏全6曲を2週間にわたって放送する。
1957 
4月27日、斉藤秀雄指揮桐朋学園オーケストラ伴奏で巌本真理とバッハ「二つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏(小野アンナ女子楽壇生活50年記念謝恩演奏会)
1960 
4月4日、小野アンナ送別音楽会。11月16日柏崎芸術劇場例会、翌3月NHK交響楽団協演記録。このあと公演活動停止。
1962 
「世界音楽全集」第20巻ヴァイオリンⅣ、ソノシート付きで刊行。田中園子伴奏、サン・サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」ドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」。5月小野アンナ日本居住42年。ソヴィエト連邦スフミ市へ帰国。
1966 
巌本真理弦楽四重奏団立ち上げ。潮田益子チャイコスキー国際コンクール第二位。
1968 
8月講談社野間省一社長夫妻の媒酌で東大教養学部教授大賀小四郎と結婚。
1969 
7月建設中のケルン日本文化会館初代館長夫人として同地に赴任。
1970 
10月15日、ケルン歌劇場の第一バス、大橋国一「歌曲とアリアの夕べ」鑑賞。
1971 
10月12日、昭和天皇をケルン日本文化会館にお迎えする。
1972 
秋、夫とともに帰国。
1975 
獨協大外国語学部教授となった夫と過ごす。4月25日、父順次郎逝去。86歳。
1976 
9月25日、第320回三越名人会で久々の公演。
1978 
私家版としてバッハ「無伴奏ヴァイオリン全6曲」の録音開始。
1979 
1月22日、神戸元町凮月堂ホールで諏訪根自子ヴァイオリンコンサートの夕べにピアノ伴奏伊藤ルミで出演。5月8日、小野アンナ死去、89歳。5月11日、巌本真理死去、53歳。 
1980 
京都グランドホテルで公演。ベートーベン「クロイツェル・ソナタ」。ピアノ伴奏伊藤ルミ。
1981 
神戸市文化ホールで伊藤ルミとのデュオ・コンサート。エクレス「ソナタト短調」ベートーベン「クロイツェル」、グリーグ「ソナタ第三番」、11月キングレコードよりバッハ「無伴奏ヴァイオリン」全6曲発売。
1983 
4月21日、東京文化会館でブラームス「ヴァイオリン・ソナタ」全3曲を演奏。9月28日、音楽の友ホール開館記念公演に出演、伴奏田中園子。10月、深田祐介「美貌なれ昭和」文藝春秋より刊行。
1984 
1月13日茅ヶ崎市民会館で演奏。伴奏田中園子。大島豊子と再開。5月8日東京文化開館小ホール、ピアノ田中園子、チェロ青木十郎、二百歳トリオ。10月2日町田市民ホールで演奏。最後の公演となる。
1985 
ベートーベン「スプリング」「クロイツェル」録音。10月1日テレビ朝日ドラマで「美貌なれ昭和」放送。永島敏之、田中邦衛、小室満里子(桐朋学園)。
1991 
2月24日大賀小四郎逝去。享年80歳。
2000 
11月16日、信木津儀子逝去。77歳。
2007 
1月5日、田中園子逝去、87歳。9月7日、信木三郎逝去。84歳。
2012 
3月6日、午後7時30分、脳梗塞後遺症のため逝去。92歳。訃報は9月25日。 

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by Toruberlin | 2019-02-03 23:51 | 音楽の話 | Comments(0)